心が現実を創る【第2回】“許す”とは?──癒しと自己統合のための6つのステップ

「もう憎しみたくないのに、どうして心は苦しいままなんだろう?」
そう感じたことはありませんか。

「許す」という言葉は、優しさや愛の象徴のように語られることも多いですが、実際にはとても難しく、怖く、深いテーマです。
とくに、家族との関係や幼少期の傷が絡んでいる場合はなおさらです。

この記事では、実際に葛藤を抱えた一人の女性のプロセスをもとに、「許すとはどういうことなのか」、そして「どう癒し、どう自己統合していくのか」を、6つのステップに分けて丁寧に解説していきます。

目次

本記事は「心が現実を変える」3部作の【第2回】です。

第1回では「現実は心の投影である」という仕組みを解説しました。
今回はそこから一歩踏み込み「癒し」や「許し」のプロセスを通じて、心のフィルターをどう変えていくのかを探っていきます。

この記事はこんな人におすすめです

  • あなたの中に長年残り続けた痛みを、もう一度やさしく抱きしめるために
  • 家族や身近な人への感情が整理できず、苦しんでいる方
  • 「もう許せたと思っていたのに、まだ引きずっている自分」に戸惑っている方
  • 過去のトラウマや心の傷を癒したいと願っている方
  • スピリチュアルな癒しを現実的に落とし込みたい方
  • 自己統合や自己受容の具体的なプロセスを知りたい方

この記事で紹介する「赦し」や「自己統合」という言葉は、誰にとってもすぐにできるものではありません。とくに、深い傷やトラウマを抱えている方にとっては、「癒しのプロセス」には段階があります。最初のステップは「自分が傷ついた」と認めてあげること。そして、安全な距離をとること。そのうえで、心が少しずつ整ってきたときに、内側で統合していく段階が訪れます。今はまだそこに行けなくても大丈夫。癒しは直線ではなく、あなたのタイミングで訪れるものです。

癒しと統合の実践プロセス

これは感情的で具体的な癒しが必要な読者のための記事です。不要な方は読み飛ばしてもOK

◆ケーススタディ:許しのプロセスに迷ったとある女性のお話

彼女は母親から狂気的な束縛や支配を受け続け、幼少期から過酷な人生を歩んできました。
大人になり、母に対する憎しみはあれど、それと同時に当時の母の痛みを理解できてしまったからこそ、憎しみ続けることに意味がないと感じたのです。
「過去のことを言っても変えられない」「今を楽しく生きるのが正解だ」と考えるようになっていきました。
けれども、心の中には、いつも辛かった過去や負った傷を癒せないまま、家族の呪縛の中に生き続けていました。

彼女は「家族を許すこと」と「自分が耐えること」の違いがわからない――と、ずっと苦しんでいたんです。
自分が本当に“許した”のか、それとも“ただ我慢してきただけ”なのか、見分けがつかないまま生きてきたのです。

「もう憎しみたくないのに、なぜか苦しみが終わらない」
そんな心の矛盾を、あなたもどこかで感じたことがあるかもしれません。
それは誰にとっても、ごく自然な“癒しの入り口”なのです。

「家族を許す」というテーマは、魂にとっても大きな課題のひとつです。
彼女がそこに正面から向き合おうとしていることは、まさにその扉を開こうとしている証なのです。

こうした痛みは、親子関係に限らず、友人・恋人・職場など、あらゆる人間関係の中で誰にでも起こりうるものです。

「許す」と「耐える」の違い

耐える=抑え込む、感情に蓋をする

・「もういい。大丈夫」と自分に言い聞かせる
・表面上は許した、というフリをする
・ふと湧き上がる怒りや悲しみを抱え続けている
・内側に「我慢」という重さが残る

これは、波風を立てまいとするあまり、自分の内側を犠牲にしていることに他なりません。
彼女が「親を憎む意味はない」と決めたその瞬間から、苦しみは抑え込まれ、感情には蓋がされたままだったのです。

許す=感じきる

・受けた痛みをありのままに感じる
・感じた怒り、悲しみ、悔しさを否定しない
・相手の行動が「当時の相手の未熟さゆえの表現」だったと理解する
・自分の中の「愛してほしかった子供の部分」を抱きしめる
・そしてもう「そのストーリーを握りしめる必要はない」と選ぶ

許すというのは、相手を正当化することでも、すべてを水に流すことでもありません。
自分自身をその痛みから解放するための選択です。

※3つめの「理解」とは、相手の行動を肯定することではありません。あなたの癒しのために、“相手がそれしかできなかった背景”を知ることで、執着や自己否定から自由になるヒントを得るという意味です。

“許す”とは、アイデンティティを見つめ直す勇気

家族との関係というのは、わたし達のもっとも根深い「自己価値」「愛される資格」のテーマに直結します。
家族に理解されない、愛されない、否定される経験は「私には価値がない」という根本の思い込みを作ります。

それを「許す」という選択をすることは、彼女のアイデンティティを丸ごと見つめなおすことになります。
非情に怖く、傷みを伴いますが、魂にとって大きな自由をもたらすものでもあります。

ケーススタディの彼女もまた、次に紹介する“癒しのステップ”を少しずつ辿っていく中で、自分の痛みに寄り添えるようになっていきました。

ステップ① 感じることを自分に許す

当時の痛み、抱えたトラウマが沸き上がった時に、感情的に悲しむのではなく、当時の自分に寄り添うように
「まだ痛いよね」「まだまだ悲しいんだね」と自分の中の声を聴いてあげること。
そして「わたしは苦しかったんだ」「抱きしめて欲しかったんだ」と当時の気持ちに気付いてあげること。

それが、感じることを自分に許すということ。

ここでは「感情を感じる」ことに集中し「表現する」ことはまだしません。まずは“気づく・寄り添う”ことが目的です。

ステップ② 感情を安全に表現する

  • 泣く
  • 怒る(表現として)
  • 手紙を書く(出さなくてもOK)
  • 絵や詩にする

など、自分ひとりで完結する形で、表現してください。
カウンセラーなどに話して聞いてもらうのでもいいです。

ステップ③ 傷ついた自分を抱きしめる

  • 無力だった自分
  • 期待して裏切られた自分
  • 孤独だった自分

補足:「家族(相手)に伝えること」と「内側で完結すること」は別次元

「自分が痛かった」と認めることと、相手に伝えて理解や謝罪を求めることは、完全に別作業です。

自分の痛みを認め、抱きしめるというプロセスは、内なる統合のプロセスです。
これは相手の同意や理解を必要としません。

→なぜか?

家族(相手)に伝えると、たいてい以下の様なパターンが生まれます。

  • 相手は自己防衛に入る「私が悪いってこと?」
  • 相手が罪悪感で過剰反応する「どうすればいいの?わたしが死ねばいいの?」

結果として、あなた自身が二次的な傷を負ってしまう。

これは「癒し」とは全く別の方向に進んでしまいます。
あなたが必要とする癒しは、相手の反応とは関係のない、あなたの内側で完結するものだからです。

補足:「抱きしめる」の意味

  • あなたがあなたの痛みを認める
  • あなたがあなたに寄り添う
  • あなたが「私が私を見捨てない」と決める
  • 相手には何も求めない

これが本当の自己受容です。
許すというのは、相手を赦すことではなく、自分の苦しみを終わらせる選択なのです。

ステップ④ 「許す」と「関係を続ける」ことは別問題

相手と物理的な関係を持ち続けるかどうかは、許しとは別の選択です。

許すこと=一緒にいることではありません。

物理的距離をとることが、自分を守る癒しになることもあります。

ステップ⑤ 癒しは“螺旋階段”

  • 一度で終わらない
  • 何度も同じテーマが出てくる
  • でも、毎回少しずつ深く癒される

ひとつの「気づき」や「受容」が起こると、自然に次のフェーズに扉が開きます。とはいえ、完全に達成しないと先に進めないというわけではないのです。進む過程でさらに癒しが深まるというのが自然な流れです。

癒しは「完了してから進むもの」ではなく、「進む中で自然と深まっていく」もの。あなたのペースで、あなたの歩幅で十分なのです。

補足:テーマが「層」として繰り返す意味

例えると、
・表層では「理解」
・次の層では「感情の解放」
・もっと深い層では「身体の感覚」
・そして最新層では「存在レベルでの完全な受容」
というように、同じテーマが現れるたびに、より深く繊細に、自分自身を抱きしめることが出来るようになります。

ステップ⑥傷みを抱きしめ続ける

自己統合とは、傷みを消すことではなく、傷みさえも連れて歩んでいくことです。

  • 痛みはあなたの物語を彩る大切な色
  • あなたの優しさ、深さ、真実さ、繊細さを育てた種
  • あなたを人間として美しく、魂として成熟させた証

だから、抱きしめるというのは、生きることそのもの。
これは決して“美化”ではなく、実際にあなたの優しさや共感力がどこから来たのか、人生を振り返ってみると見えてくるものです。

たとえば、あなたの「人の痛みに敏感で優しくなれた瞬間」を思い出してみてください。それは、かつての傷があったからこそ、育まれた力かもしれません。

「許す」ことで起こる変化

実際に「許す」選択をしたことで、次のような小さな変化が起きたという声があります。

  • 身近な人の言葉に過剰に反応しなくなった
  • ふとした瞬間に、自分を責める癖に気づけるようになった
  • いつも苦しみの中にいるような夢ばかりだったのが、次第にもっと別の印象の夢に変わった
  • “今ここ”の時間を味わえるようになってきた

どれもささやかで目立たない変化かもしれません。けれど、こうした変化こそが「あなたの内側の安全が整ってきた」サインなのです。

自己統合とは、痛みから目をそらすのではなく、ありのままの自分を受け入れること

見ないようにする=痛みに鍵をかけて封印する
抱きしめる=鍵を開けて痛みを自由にして共に在る

自己統合とは、あなたが痛みと一体となり、同時に自由でいる在り方です。
生きる道そのものです。

そうして、価値観という呪いが浄化・統合されることで、世界に見えている色がまた一段と鮮やかになっていくのです。

自己統合とは、“痛みを抱えている自分”が、“それでも生きて愛されていい存在”だと自然に思えるようになる状態です

自己統合は“自分ひとりでなんとかしなければいけない”という意味ではありません。必要であれば、信頼できる専門家や支援を頼ることも、自己愛の一部です。

癒しとは、痛みを置き去りにしないこと

「許す」ことは、誰かのためでも、道徳的な正しさのためでもありません。
あなた自身が、もうこれ以上苦しまないための“自己救済”の選択です。

耐えてきた時間。
感情を押し殺してきた日々。
誰にも理解されなかった孤独。

それらは、決して無意味ではなく、あなたの感受性や優しさの根っこになっています。

癒しは、線を引いて忘れることではなく、過去の自分と手を取り合って、いまここを共に生きること。

だからこそ「許し」には時間がかかっていいし、むしろ「時間がかかって当然」なのです。
一歩ずつ進めれば十分です。

次回は、その癒しがどのように“現実の変化”として形を持ち始めるのか。
「本当の引き寄せの法則」の世界へと、歩みを進めていきましょう。

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