「運命」と聞くと、どんな感覚が浮かぶでしょうか。
どうせ決まっているもの?避けられないのなら、考えても無駄?
あるいは、 宿命的なつながりに惹かれる?自分の使命は何かを知りたい?
人によって感じ方はさまざまですが、多くの人が「運命」という言葉に、どこか「決まっているもの」という印象を抱いているのではないでしょうか。
四柱推命や風水、奇門遁甲のような命理を学んでいると、たびたび「運命を知ってどうするの?」「変えられない現実を知るなら怖いだけじゃない?」と聞かれることがあります。
いいえ。本当の「運命」は、そんなに単純なものではありません。私は運命というのは「決められた未来」ではなく「構造」と「選択」が存在しているものだと実感しています。
今回は、運命とは何か?ということをお話したいと思います。
なぜ「運命=決められた未来」と感じてしまうのか
なぜ私たちは「運命=変えられないもの」と捉えてしまうのか?
その理由のひとつは、社会や教育によって「正しいルート」「安心な道」「人並みの幸せ」など、暗黙のうちに「進むべき道」を刷り込まれているからです。
さらに「当たる占い」や「吉凶の運勢」という言葉が、命理を「当てもの」やある種の「脅し」として扱ってきた背景もあります。
「あなたの運勢はこうです」「来年は注意してください」そう言われたとき、人はそれを「確定事項」のように受け取り、自分の未来がもう動かせないかのように錯覚してしまう。
それは、命理が本来持つ「自分を活かすための知恵」という役割とは、真逆の使い方なんです。
命式は「構造」であり、自由は「選択」である
では「運命」とは何なのでしょう?
たとえば、なだらかな坂道を走る車があったとして、坂が下りならスムーズに進むけれど、登り坂なら、少し強めにアクセルを踏まなければならない。
命式が示すのは、そういった「傾き」や「地形の特徴」。
どの季節に強いか? どんな場面で力を発揮するか? どんなエネルギーが過多で、何が不足しているか?
これらはすべて、人生の中で「どう走ると心地よいか」のヒントを与えてくれます。
でも、どの道を走るか、アクセルを踏むか、ブレーキをかけるかを決めるのは自由。
いつだって「あなた自身」が決めることなのです。
だからこそ、命式は「構造」にすぎず、人生は「選択」でできているというのが、私が実感している運命観です。
命理と自由意志は矛盾しない
人は、多かれ少なかれ「自分の人生の意味を知りたい」という想いを持っています。
命理鑑定では「人生の目的」という視点で読み解くことができます。
でも、それはあなたを縛るものではありません。
命式は、あなたの魂がこの世界に生まれるときに選んだ “旅の羅針盤”であり、“どんな車で、どんな道に適した仕様か”を示すものです。
どんな羅針盤を持っていても、それをどう使って、どこに向かうかを決めるのは、あなた次第。
だから、命理と自由意志は矛盾しない。むしろ、命理を知ることで、あなたの意志はもっと「自由」に「明確に」なる。
「運命を活かす」とはどういうことか
「運命に従う」と聞くと、何かに支配されるような窮屈さを感じますが、本質はまったく逆です。
自分の命式を知ることは、自分の“取り扱い説明書”を読むようなもの。
力を入れすぎない走り方や、うまくカーブを曲がるためのタイミング、エネルギーが枯渇しないような休み方が見えてきます。
つまり「運命を活かす」とは、自分を知り、自分に合った走り方を見つけること。
それは、誰かの期待や世間のルートをなぞることではなく、自分の魂が本当に望む方向へとハンドルを切ることなのです。
おわりに ― あなたの運命は、あなたのもの
命式を読むとき、わたしが一番大切にしていることは「この人がもっと自由に、自分を生きられるようにと」いう視点です。
命式は確かに構造を持っています。 でも、その構造は「決定」や「固定」ではなく、あなたの可能性をひらく“鍵”であり、“傾向”です。
人生を決めるのは、命式ではない。人生を決めるのは、あなた自身です。
だからこそ、怖がらずに、決めつけずに、自分の命式に触れてみてください。
そこには、あなたという魂がどこまでも自由に走り出せるためのヒントが、きっと眠っているはずです。
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